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お母さんは、自由人 3/6

  松尾 英里子 / 白鳥 美子

終戦後、両親は離婚。母親に引き取られた。
浅草生まれの母は、名を「縫子(ぬいこ)」という。芸者さんの衣装のお針子の家に生まれ、江戸の粋な世界が子どもの頃から身近にあった。長じて、本人も小唄の師匠になった。
「父と別れて、生活のために稼がないといけない。朝から晩まで忙しくて大変なときも、合間に、お弟子さんが習いに来ていました」
月謝は3000円くらいもらっていたが、一時間の稽古の後、「一緒にお昼を食べましょう」と寿司の出前を頼む。
「それも、上寿司。二人分で月謝がなくなっちゃう。計算ができないというか、お人よしというか…、そういう母でした」
長男である自覚のあった洋さんは、早くひとり立ちしようと高校で食品化学を学び、卒業後は「一生食うに困らないだろう」という理由で森永乳業に入った。
「でもね、乳業会社って、いつも寒いんですよ」
作業場は、夏でもセーターが必要なほど寒い。足元は濡れているので、膝までの長靴を履いて走り回る毎日。ある日、足に一斗缶を落としてしまったとき、ふと、友人の言葉を思い出した。
「お前、絵が上手いんだから、漫画家になれよ」
その友人が言うには、『サザエさん』の作家・長谷川町子さんは4コマで3万円の画料をもらっている。当時の自身の月給は5500円……。
「あっという間に辞めて、漫画家の清水崑先生を紹介してもらって弟子入りしました」
せっかく就職した優良企業を、たった数か月で辞めるという息子に、母親はこう言った。
「お兄ちゃん、また初めからだね」
「お母さん」というより粋な「自由人」だったという人だからこその「自由に生きろ」という思いからの言葉だろうか。そう聞くと、木久扇さんはこう答えた。
「いや、そんな難しいことじゃない。お兄ちゃんだから大丈夫っていう安心感だったと思います」


S35年「とりもの太平記」


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