「あの日のこと」 vol.6 【目次】
 松尾 英里子 / 白鳥 美子
異星人と交流の機会が出来たら、真っ先に手を挙げたい【目次】
「林家木久扇、笑点を“卒業”」――このニュースが発表されてから半年余り、ついに、2024年3月、最後の出演日を迎えた。1969年以来55年間というとてつもなく長い年月、トレードマークの黄色い着物で「与太郎」という“おバカ”キャラでお茶の間に笑いを生み出してきた木久扇師匠は、後任に入る方へのメッセージとして「バトンタッチ」という言葉を選んだ。そのバトンとはいったいどんなものなのか。どれほどの気持ちが込められているのか。子ども時代の想い出や修業時代をはじめ、様々な時代の記憶の中に、その答えを探してみた。
(取材・構成・文/白鳥美子)
●林家木久扇さん プロフィール
昭和12年10月19日
出身地:東京日本橋 実家は雑貨卸商
時代に呼応するいつも新鮮な話芸をもち、そのテリトリーは日本の食文化ラーメンから捕鯨再開のための鯨の食文化を守る会。また日本医科大リウマチ科の吉野槇一教授と組み 「リウマチの痛み、落語の笑いで消えた 」で健康ブームの先がけとなり、いつも新鮮な明るい話題を提供している。画技の方は日本橋丸善において開催された(林家木久蔵錦絵展)など、一流デパートのギャラリー展も20ヶ所におよぶ。
経歴
昭和31年 東京都立中野工業高等学校 食品化学科卒業 森永乳業㈱新宿工場就職。同年8月に漫画家清水崑氏門下へ入門
昭和35年 三代目 桂三木助門下へ入門。芸名 桂木久男で見習い
昭和36年 桂三木助没後、林家正蔵門下へと移り、前座となり芸名 林家木久蔵となる。二つ目昇進
昭和44年 日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバーとなる
昭和48年 林家木久蔵のまま真打ち昇進
平成4年 (社)落語協会理事に就任
令和元年 日本テレビ「笑点」回答者レギュラー満50周年を迎える
令和2年 芸能生活60周年を迎える
令和5年 日本テレビ「笑点」大喜利メンバーを令和3月をもっての勇退を発表
(左)林家木久扇さん(右)白鳥美子