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五輪と中止論とナショナリズム

塾長  君和田 正夫

 2020東京オリンピックとパラリンピックが終わったら、国を挙げてオリンピック・パラリンピック(以下「五輪」と表記します)の総括に取り組まなければなりません。
 まずは、メディア自身の総括が必要です。私が朝日新聞出身であることをお断りしておきます。
 最大の論点は朝日新聞社説の「中止論」でしょう。5月26日の朝刊で、この社説を読んだとき、内心ほっとしたものです。
 なぜほっとしたのか。朝日新聞だったからではありません。「2020東京五輪」について、日本の新聞は開幕直前まで自分の意見を曖昧にしたままだったことと、その結果、ジャーナリズムにとって不可欠の「多様な意見」が失われてしまっていたからです。新聞やテレビが行う世論調査で五輪の中止・再延期の意見が圧倒的多数だったにもかかわらず、五輪中止論は封印されてしまったかのようでした。なぜ中止論を正面から主張するメディアが出てこないのか。なぜ多くの国民の意見を反映するメディアが出てこないのか。不思議でした。

 メディアの「多様性の欠如」あるいは「横並び」さらに「沈黙」は二つの危険な兆候を示しています。

 戦前を連想させる「メディアの沈黙」

 一つはオリンピックが歴史的にも内容的にも「ナショナリズム」と相性が良いからです。最近、多くの識者が日本が戦前、戦時中へ回帰している、と警告し始めています。五輪が掲げる「共生」さえも反論を封じる危険性を内蔵している言葉です。メディアは「説明しない政府」の下で時代錯誤の旗振り役を務めてしまったのかもしれません。

 朝日より早く五輪中止を主張したのはブロック紙、地方紙でした。
 信濃毎日新聞は5月23日の社説で「東京五輪・パラ大会 政府は中止を決断せよ」という社説を掲げました。5月25日には西日本新聞が「東京五輪・パラ 理解得られぬなら中止を」などニュアンスの濃淡はありますが、何紙かが先行して中止を訴えました。全国紙が沈黙を守っている中で、地方紙は新聞の多様性を見せてくれました。
 信濃毎日には桐生悠々(きりゅう・ゆうゆう)という論説主幹がいました。昭和8年8月1日「関東防空大演習を嗤(わら)う」という社説を書いて軍部の反発を買い、退任に追い込まれました。その伝統が今も生きているということでしょうか。
 多様な地方紙の論調を読めない読者が多いでしょう。そうだとすれば全国紙のどこか、朝日でなくてもどこでもいいのですが、「五輪中止」を書いてくれと願わざるを得ない状況だったのです。

 なぜ政治銘柄の五輪スポンサーに

 二つ目の問題はスポンサーの問題です。朝日新聞への批判の中心は、この点にあったと思います。五輪の「オフィシャルパートナー」であるにもかかわらず、中止を求めるのはおかしい。それならパートナーを降りろ、というわけです。パートナーを降りなければ批判をすることはできないのか、という点を別にすると、この批判は正しいと思います。
 スポンサーの問題は、メディアとして深刻な反省を迫られるものです。今回は読売、毎日、日経そして朝日の4社が「オフィシャルパートナー」、産経新聞、北海道新聞が「オフィシャルサポーター」の契約をしています。
 新聞社がなぜスポンサー・サポーター契約をしたのか。これが最大の問題です。過去の五輪で新聞社が契約したことはありません。
 「オールジャパン」の大イベントということで、電車に乗り遅れてはいけないという横並び意識があったのでしょうか。そうだとすれば、あまりに安易です。五輪は最も危ない政治銘柄であることは、メディアの人間は十分承知しているはずだからです。
 1936年のベルリン五輪はナチスドイツ、アドルフ・ヒトラーのためのオリンピックでした。国際的に五輪ボイコットの声が起きる中で、当時の国際オリンピック委員会(IOC)会長アンリ・ド・バイエ・ラツールの考えは、「共産主義がオリンピック運動に浸透してくる場合以外」IOC は政治的立場に立たない(つまりベルリンで開催する)、というものでした(「ベルリンオリンピック1936」から)。国際的な反ドイツキャンペーンを「虚偽」と述べ、五輪をベルリンから移す理由は何もない、とも述べました(「ヒトラーへの聖火」から)。
 「なにがなんでも開催」という姿勢は今回の五輪に対するIOCの対応と共通しています。
 1972年のミュンヘン五輪はドイツにとってベルリン以来、二度目の五輪でしたが、史上最悪の五輪になりました。パレスチナゲリラがイスラエル選手団を襲撃し、11人が犠牲になりました。エイヴリー・ブランデージIOC会長は「中止はテロに屈服することにつながる」と主張。競技日程を1日ずつ繰り下げて続行を決定しました。

 感動物語が議論を止める

 冬の北京五輪を控えているので、五輪ボイコットの例を挙げます。
 1980年のモスクワ五輪ではソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、米国をはじめとする西側諸国がボイコットしました。日本も不参加に足並みをそろえました。逆に次のロサンゼルス大会(1984年)は、ソ連をはじめとする東欧圏諸国が報復のボイコットをしました。

 ナショナリズムと表裏一体の歴史を見れば、新聞社がスポンサーになること自体が問題であることは明白です。「五輪中止」を主張した朝日は中止を主張したことが批判されるのではなく、スポンサーになったことを批判されるべきです。スポンサー、サポーターになった他の新聞社も、もちろん同罪です。
 五輪の議論を難しくしている要因の一つは、選手の努力と汗と感動の物語です。この物語には誰も心を動かされます。それだけにナショナリズムの危うさを覆い隠す強い力を持っていることを、胸に刻んでおきたいものです。
 
(2021.08.30)

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