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大義なき五輪と愛国のかたち

ジャーナリスト / 元上智大学教員 小此木 潔

 東京五輪の開会式をテレビで見るうち、1964年の記憶がよみがえってきた。あの頃のほうが将来への希望にあふれていたように思えるのは、自分が少年だったせいかもしれないし、もしかしたらあの秋晴れの空のおかげでもあるだろうが、何よりも日本の社会が力強く発展していたことが要因であるに違いない。そして、声高には言わなくても、どこか誇らしい日本のイメージが私たちの心の中にあったような気がする。

  平和的発展こそ「金メダル」だった

 貧しい家庭などでも真新しいカラーテレビで開会式や競技から「世界」を見て、未来への希望を膨らませた。耐久消費財ブームに後押しされ、国民総生産(GNP)は4年後の1968年には初の50兆円台に乗せて当時の西ドイツを抜き、米国に次ぐ経済大国となった。
 平和主義を前面に掲げた日本国憲法のもとでの経済成長。それを絵にかいたような光景が東京五輪だった。池田勇人首相はがんに倒れ五輪の翌年死去したが、「所得倍増」路線は実を結び、60年安保で噴出した政治対立の傷を癒すような成長ぶりは世界から注目された。焼け跡から見事に復興した発展モデルこそ、世界が認めた「金メダル」だったのだ。
 いまはどうだろう。
 兄と妹が金メダルに輝いたり、スケートボードで男女とも金を獲得したり、卓球で悲願の金、という感動の物語がある。アスリートたちの躍動が、将来を託すべき若者たちの健在を確認させてくれるような気もする。

  大義なきパンデミック五輪

 しかし経済は、国内総生産(GDP)の物差しで測れば2010年に中国に世界第2位を譲り渡し、その後は大差をつけられている。さらに残念なのは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックで経済が打撃をこうむり、非正社員のような弱者にしわ寄せが出ているうえ、繰り返される感染拡大で経済停滞が長期化しそうなことである。
 組織委員会の森喜朗前会長による女性蔑視発言に続いて演出を担う中心人物らの女性蔑視や障碍者虐待などが次々と噴出したことは五輪の精神に背く事態だ。そして何よりも憂鬱なのは、パンデミックで感染者が増え続けているのに、五輪を強行開催していることだ。そこには秋の総選挙をにらんだ政治的打算もあるとされる。
 心配された通り、病院のコロナ病床はぐんぐん埋まってきた。開会式翌日の7月24日には、厚生労働省のアドバイザリーボードのメンバーで昨年の「接触8割削減」政策を提唱した京都大学の西浦博教授が、五輪の「中断」をツイッターで訴えた。感染者の急増で病床が不足し、入院できず自宅で重症化してしまう人が増えるのをなんとか食い止めたい、との趣旨だ。教授は22日のNHKニュース7で放映されたインタビューでは「いま流行の拡大を止められるかどうか大変重要な瀬戸際にある」と語っていた。教授の予測では、8月に都内の感染者が1日5,000人を超す事態も懸念されるという。


7月22日のNHKニュース7に登場し、病床ひっ迫の危機を訴えた西浦博・京大教授
(NHKニュースwebから)

 政府の新型コロナウイルス対策分科会メンバーで内閣官房参与も務める岡部信彦・川崎市健康安全研究所長は、入院すべき人が入院できなくなるようなら五輪の中止を求める、との考えを25日のフジテレビの番組「日曜報道THE PRIME」生出演で示した。これは13日夜に朝日新聞の取材に応じて述べた内容を繰り返したものだ。
 こうした専門家の訴えや警鐘に政治もメディアも耳を傾け、勇気ある決断を下すことが問われているのに、反応は鈍い。このままでは感染爆発を起こし、感染者を見捨てた「大義なき五輪」として歴史に刻まれてしまうのではないか。

  新しい愛国のかたち

 ふと思い出すのは、1977年、日航機ハイジャック事件での福田赳夫首相の決断だ。「人の命は地球より重い」と語り、超法規的措置で犯人たちの要求を呑んで人質救出を優先した。
 今の自民党なら採れない選択かもしれない。しかし、私は今でも福田首相の選択は正しかったと思う。そして菅首相がパンデミックから国民の命を救うために、ならうべきものは人命第一の精神であり、勇気ある人道主義の決断だと思う。
 そんなことを考えながら、米紙ニューヨーク・タイムズの前東京支局長マーティン・ファクラー氏の近著『日本人の愛国』(角川新書)を読んで、励まされる思いがした。
 米国人のファクラー氏は南北戦争の激戦地だったアトランタで育ち、大祖父が戦った硫黄島、平成天皇が強く希望して訪問したパラオ、日本の若者が遺骨収集に参加したガダルカナル、などに記者として同行取材した。それらの経験を踏まえて、福島で市民たちが自らの手で放射能測定に動いたことなどを例に、日本は戦前の愛国の反省のうえに草の根から新しい愛国のかたちを築きつつあると書いている。

 「国の行方に責任を感じ、それをよくすることこそが本物の愛国心ではないか」
 「戦後の日本の素晴らしい成果を認め、平和的で平等で住みやすいという新しい形の国を作るのが立派なゴールとなるのではないだろうか」

 五輪は間違いなく、素朴な愛国心に訴えるものがある。私もアスリートの活躍に拍手を送る。しかし、患者急増の現状では、素直に喜べない。入院先も見つからず、人工呼吸器も使えずに息絶えてゆくような犠牲者を出さないため、五輪「中断」「中止」に賛成である。  人命優先は人間の尊厳や平和を掲げる五輪憲章にかなう。そのために決断する人道主義の日本こそ、草の根からの愛国にふさわしい。

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