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無駄とコロナ

テレビ屋 関口 宏

 コロナを背負ったままの年越し。世界中の人々が同じ辛い想いの中にいる不思議な新年の幕開けです。暮れからアメリカやヨーロッパでワクチンの接種が始まりましたが、我が日本ではいつになるのでしょうか。遅かれ早かれ日本でも始まるでしょうし、このコロナ禍自体が、いつとは言えないまでも、やがては収束していくものと思われます。

 そしてアフターコロナです。

 果たして全てがコロナ以前に戻るのでしょうか。コロナで失ったものをなんとか取り戻そうとする動きは当然拍車がかかるでしょう。でもそれで本当に元通りになるのか、私にはクエスチョンマーク「?」が付きまとっています。

 人類が共に初体験した世界的苦難。その経験から知ることになった数々の教訓。例えば自然と人と感染症の関係がまだまだ解っていなかったこと。そして脆かった世界的感染症対策のあり方。更には行き過ぎたグローバリズム。その先に見えた上下・格差の問題が切羽詰まっている実情等々、コロナ以前には見え難かった世界的大問題をコロナに突きつけられたように思います。


 しかしこのコロナ禍の中で一気に加速したものもありました。ネットの世界です。リモートとかオンラインとか呼ばれる技術がコロナ禍の社会活動に上手く溶け込み、またさらに進歩しました。「良くぞこのツールが、このコロナ禍に間に合ってくれた」とも言えるのかもしれません。(ただ、このコラムで度々書かせていただきましたが、私としては100パーセント歓迎しているわけではありません。本当の人間関係とは、場を共にして、同じ空気の中で、目と目を合わせ、お互いの気持ちを交わす中で育まれるものと信じているからです。)

 それでもリモート、オンラインの活用はこれからの社会を変えて行くでしょう。オフィス、学校、医療のあり方をはじめ、ライフスタイルまでもが様変わりするかもしれません。効率性重視、またそれで十分事足りる分野では、新時代が始まりそうです。
 ということは、コロナ以前には当たり前だと思っていたものの中に、如何に「無駄」なものが多かったか、コロナに教えられたことになるのです。「より便利に」、「より快適に」、「より豊かに」の生き方の中には相当「無駄」が入り込んでいたようです。

この点においては、私たち戦中派世代は落第です。戦後の焼け跡の中での、ひもじい想いが人生の出発点でしたから、「より便利に」、「より快適に」、「より豊かに」が当たり前になりました。そしてその価値観を貪欲に追いかけ、1980年代後半、今考えれば信じられないようなバブル経済の熱狂に踊り、その後のバブル崩壊の惨めさを味わったのです。

 その頃よく聞いた言葉が、「スモール・イズ・ビューティフル」、「シンプル・イズ・ザ・ベスト」。バブルの反省を込めた言葉として語られたものです。
 更には、古代ギリシャの哲学者・エピクロスの提唱した「快楽主義」も話題になりました。人は肉体的(物質的)快楽よりも精神的快楽に生きるべしと諭したエピクロス。たとえ物質的快楽を貪れる立場にあっても、敢えてその道を選ばずとしたものです。
しかし喉元過ぎれば何とやら、経済状況が上向くに連れ、バブルの反省は影を潜め、「新自由主義」的価値観にひた走っている私達がいました。


 そこに新型コロナウィルスが「待った!」をかけた形になりました。

 「自由」に制約がかかり、巣ごもり生活を余儀なくされました。しかしその窮屈な日常は、それまで見えていなかったものに気づく機会を与えたのかもしれません。そしてこれまでの多くの「無駄」に気づいた人が世界中に現れ始め、世界のあちこちから新しい価値観、新しい生き方が生まれてくるかもしれないのです。
それは一見、これまでよりも「地味」な時代に感じるかもしれません。でもこの「地味」さの中に、本物の力強さが秘められている可能性もあります。

そんな新しい時代が始まるかもしれない2021年。その前に、まずは新型コロナウイルスを封じ込めなければなりません。

 テレビ屋  関口 宏

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