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2020年4月号

五輪の重荷が消えて

塾長 君和田 正夫

 甘すぎる日本の対応、と思えるくらい、新型コロナウイルスの感染は世界中に拡大しています。1月30日に2人の感染者が出たイタリアは、わずか2か月で死者が1万人を超え、火葬が滞るほどになってしまいました。米国も最初の感染から2カ月余で10万人を超えました。世界の感染者は70万人、死者は3万人。とどまる様子が見られません。世界保健機構(WHO)のテドロス事務局長が言った「制御できるパンデミック(感染症の世界的流行)」はどこへ行ってしまったのでしょう。(統計は3月28日現在)

 後手に回ったコロナ対策

 3月26日、東京の小池百合子都知事以下、首都圏の知事らが外出自粛を呼びかける共同メッセージを出しました。小池知事は「都市封鎖(ロックダウン)」の可能性にも触れ、感染爆発(オーバーシュート)の重大局面だと述べています。政府も26日、政府対策本部を設置しました。
 急ピッチで対応を急いでいるように見えますが、実際は後手に回った対応だったのではないでしょうか。感染病は少人数から始まること、無意識のうちに広がることは、昔からわかっていることでした。

 「後の世代が参考にできるように」

 8万人と言われる死者を出した1665年のロンドンのペストについて、ダニエル・デフォーは300年前に「ロンドン・ペストの恐怖」という本を書き残しました。「感染経路について後の世代が参考にできる見方を残しておかなければならない」と宣言したのです。デフォーは「ロビンソンクルーソー」の作者です。
 「多くの人は病気を見舞ったときに感染したとは夢にも思わず、それと気がついたときには口をきけないほど驚く。いったん病気の兆候が現れると、6時間以上生きることは滅多にない」
 「市長と州長官はたえず街頭に立って、もっとも危険な地域にも足を運んだ」
 「パンや組合の組合長は、…週ごとに市長が定めるパンの法定価格が守られているか監督せよとの指示を受けた。…パンはいつでも豊富にあり、普段と変わらない安値で手に入った」

新型コロナで読まれている本。
左から「デカメロン」(ジョバンニ・ボッカチオ)
真ん中「ロンドン・ペストの恐怖」(ダニエル・デフォー)
右「ペスト」(アルベルト・カミュ)

 「東京五輪ファースト」の流れ

 感染症の長い歴史があるにもかかわらず、日本の対応の遅れはどう説明したらいいのでしょう。「東京五輪の重み」が原因だった、と考えざるを得ません。五輪成功を優先し、平時と変わらない日本をアピールする必要があったのでしょう。
 2月24日の政府専門家会議は「この1,2週間が拡大か収束かの瀬戸際」と言い、3月9日には「感染報告が少なかった外国で患者が急増している。日本各地でも起きている可能性がある」と警告しました。しかし最初の専門家会議から1か月間、感染防止のための思い切った動きは見られませんでした。
 「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正だけが特別に急がれたように見えますが、その理由がよくわかりません。国民生活を規制する課題の多い改正なので、憲法改正などにつなげる思惑があるのではないか、と疑われています。しかし滞っていた流れは五輪の1年延期で大きく変わりました。外出自粛の要請、対策本部の設置など押さえていたものが矢継ぎ早に発表されました。

 景気判断にも影響か

 コロナ対策だけではありません。26日に発表された3月の「月齢経済報告」から「回復」という文字がやっと消えました。6年9か月ぶりのことです。コロナが経済活動を減速させたことは間違いありません。ところが実際の景気は、もっと前、昨年10月の消費税引き上げのころから後退局面に入っていた、と考える方が自然です。それなのに年を超えても「回復」にこだわった。なぜでしょう。「アベノミクス」の成果としての五輪までは、なんとしても景気後退を匂わす表現は避けたかった、と考えれば納得がいきます。
 各国は病の感染と恐慌の二つを敵に戦っています。それに対して日本は五輪という重い責務を背負っての戦いでした。その重荷がとりあえず消えました。コロナ対策を筆頭に山積みになっている政治課題に取り組み、これまでの遅れを取り戻すときです。


君和田 正夫

塾長

1941年(昭和16年)生まれ。早稲田大学卒。
1964年、朝日新聞社入社、経済部記者などを経て2005年(平成17年)テレビ朝日に。
退任後「独立メディア塾」の共同代表。

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