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コロナでミケランジェロ売却か

在英ジャーナリスト  小林 恭子

 冬に入り、欧州は新型コロナウイルスの感染拡大第2波の対応に追われている。
 日常生活に必須のサービス以外は活動停止となる「都市封鎖(ロックダウン)」体制が国ごとに、あるいは地域ごとに導入されてきた。
 筆者が住む英国でも、今年3月の全国的なロックダウンに続いて、秋からは地域レベルで厳しい行動制限が付くようになった。「不要不急」扱いになった映画館、劇場、美術館、画廊、博物館などは閉鎖(3月)、再開館(7月)、また閉鎖(英国の人口の大部分が住むイングランド地方では11月5日以降)という急展開に直面した。
訪問者が途絶えたことで入場料、ショップや付設飲食店からの収入が途絶えた。スタッフの維持、施設の賃貸料の支払いなどで経営が苦しくなっている状況は時折報道されていたものの、その困窮ぶりが公に認識されるようになったのは、文化施設が所蔵作品を売却する動きが伝えられてからだ。

  芸術院はスタッフ解雇の窮状

 9月、英国の国立美術学校「ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立芸術院)」がルネサンス期の芸術家ミケランジェロ・ブオナローティによる浮き彫り彫刻の作品「タッディ・トンド」を売却する、という報道が出た。
 「タッディ・トンド」は英国にあるミケランジェロの唯一の彫刻作品で、フィレンツェ・ルネッサンスを象徴するものとして知られる。1504−05年に制作され、元の持ち主ウォリック伯爵夫人が亡くなって、1829年、芸術院に贈呈された。
 英メディアの取材に対し芸術院は作品の売却を否定したが、関係者の一人は日曜紙オブザーバーに「売却すれば人材を救い、赤字を抜け出せる」と漏らしている(9月20日付)。


「タッディ・トンド」

 芸術院は独立した慈善組織として運営されており、その運営費用をチケット代、ショップの売り上げ、会員費、寄付、企業のスポンサーシップなどで賄っている。新型コロナ感染拡大を防ぐためのロックダウンの悪影響を回避するため、政府がアート業界に拠出した緊急支援金157億ポンド(約2兆1600億円)の一部を受け取っているものの、現在のスタッフの約半分に相当する150人を一時解雇せざるをえない状況に追い込まれている。
 2年前、芸術院は誕生250周年を祝うため、560万ポンドをかけて増設したが、これも今となっては痛い投資と思えてくる。

  王立オペラ劇場も肖像画を

 イングランド地方では、英博物館協会(博物館、美術館、画廊、歴史的な遺産を管理する組織などが加盟)が倫理規定を定めており、これによると「所蔵する芸術作品は、通常は財政的に取引する資産とはみなされない」。つまり、売却はしないことになっている。
 しかし、10月22日、王立オペラ劇場はデイヴィッド・ホックニーによる元劇場の最高経営責任者デビッド・ウェブスターの肖像画を約1200万ポンドで売却した。
 オペラ劇場には王立バレエ団も含まれ、英国で最大のパフォーマンス・アートの雇用主となっているが、売却前、最高経営責任者アレックス・ビアードはコロナの拡大により劇場が閉鎖されたことで「私たちは最大の危機に直面している」と述べている。売却の決定は「厳しい選択だった」が、「この時期を乗り切って、将来も従業員を維持するためには仕方なかった」と語っている(オブザーバー紙、10月4日付)。




オブザーバー紙の記事(ウェブサイトより)

 この話にはオチがつく。11月に入って、オークションで購入したのはオペラ劇場の理事長で携帯通信企業「カーフォンウェアハウス」の共同創業者デビッド・ロスだったことが判明したのである。
 ロスは元々ホックニー作品の収集家だったが、購入資金は海外に住む名前が明かされない別の収集家が提供し、ロス自身は電話でオークションに買いの指示を出したという(サイト「アート・ニュースペーパー」、11月20日)。「ウェブスターの肖像画が英国を離れ、市民が目に触れないところに消えてしまうことを止めるのが目的」だった(売却事情をよく知る人物、同サイトより)。
 ロスによる購入手続きが終了次第、肖像画はオペラ劇場に一旦戻り、その後、2023年まで予定されているナショナル・ポートレート・ギャラリーでの展示後、長期的な住処としてオペラ劇場に帰ってくる。
 所蔵資産を売却する動きは、英国だけの話ではないが、「売るべきではない」という声も強い。

  米国美術館ではミロ、モネ作品も

 英国同様に財政困難に陥った米アート界では、今年4月、米美術館長協会がコレクション全体を維持するために一部作品を売却することを認めた。それ以前は運営費用や設備投資に使うために所蔵品を売却すれば批判の対象となり、場合によっては制裁を科される決まりとなっていたが、この方針が変更された格好だ。
 以前から財政が逼迫し、コロナによる閉鎖で収入が激減したブルックリン美術館は マチス、ミロ、モネの7作品をオークションで売却し、2000万ドル(約20億円)を得た。美術館の運営を維持するための基金も設置し、4億ドルを集めることを狙う。
 一方、同様にコロナ禍の影響を受けるボルチモア美術館は所蔵作品の中でも目玉となるアンディ・ウォーホルを含むアーティストによる作品を10月末に売却予定だったが、美術館の理事の中で反対意見が強くなり、オークション当日に売却停止を決定している。
 英国でも医療教育機関の内科医師会が所蔵する稀少本を売却して予算の赤字を補填しようとしたところ、内外で反対の声が上がり、「考慮中」となった。

  「背に腹は代えられない」か「禁じ手」か

 今回のような、解決の先行きが見えないパンデミックが流行している時、文化施設が所蔵作品を売却するのは良いことなのか、悪いことなのか。
 スタッフの雇用を維持し、この危機を乗り切るために「背に腹は代えられない」ので売却を決断せざるを得ないというのは一つの判断だ。運営が不可能になって文化施設そのものがなくなれば、市民が芸術作品あるいは歴史的に重要な事物を鑑賞する機会が失われてしまう。
 カナダ人ジャーナリストのマルコム・グラッドウェルは収蔵物を手放したがらない文化施設はまるで「昔話に出てくるような、宝物をため込む怪物のようだ」と述べている(6月、ポッドキャストの番組内で)。「大部分の主要美術館は収蔵作品全体の95%を倉庫に保管しており、誰も見ることができない状態だ。まさに『ため込む怪物』だ」。
 しかし、文化施設の肝心の部分が所蔵作品だとすれば、それを利益のために売却するのは自分で自分を破壊するような「禁じ手」にも思える。
 一方、現状を前向きに捉えることも可能だ。「これを機会に収蔵コレクション全体を整理するべき」(国際的にも著名な学芸員フランチェスコ・ボナミ、サイト「アートニュース」、11月2日)。コロナ以前にあった規模の拡大思考を見直し、質を高める方向に向かうべき、という主張である。
 英イングランド地方のロックダウンは12月上旬に終了するが、地域による行動制限は今後も続くと見られている。美術館、博物館にいつ訪問客が戻るのか。安心感を持って訪れることができる日は訪れるのか。
 多くの不特定多数の人が室内の空間で集うことがタブーとなった今、美術館、博物館、そして劇場などの文化施設は生き残りをかけて戦っている。パンデミックのおそれがすっかり消えた頃、いったいどれだけ残っているだろう。

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