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スペイン風邪と力士

 独立メディア塾 編集部

  「関取」は「咳取り」?

 兵庫県養父(やぶ)町の崖縁に「大灘栄吉墓」と彫られた石碑が建っている。はて何だろうと通りすがりの人に尋ねると「あれは咳の神さんですよ」と教えてくれた。「うん、咳の神様?」と思ってしまう話が「相撲の民族史」(山田智子著)に紹介されています。
 石碑には「明治十五年申 十月二十九日」と彫られています。長老の話として、相撲好きの家に宿泊していた力士が死んでしまった後、記念碑を建てた。「関取」だから「咳取り」と語呂合わせしたのだろう、咳の出る病気に効くというので石を削って持ち帰る人もいたそうです。地元、祐徳寺の守本宗純住職によると「栄吉」という人が「明治五年十月二十九日」に没したという過去帳があるものの力士かどうかは不明だそうです。
 今は市になっている養父町は相撲に縁があります。伝統芸能の「ネッテイ相撲」は、観光案内によると、平安時代から朝廷儀式として行われていたもので四股を踏んで悪霊を鎮める神事です。この地域では何度も繰り返すことを「練って、練って」と言う。足踏みを何回も繰り返すから「ネッテイ相撲」と言われるようになったとされています。


 (養父市奥米地の水谷神社で行われる「ネッテイ相撲」は、平安時代から朝廷儀式として行われていたもので四股を踏むことで悪霊を鎮めるとされる相撲神事。写真は養父町のホームページ「まちの文化財(49) 養父のネッテイ相撲」と「やぶ市観光協会の観光情報」から)

 「咳取り」で思い出すのは、相撲と感染症に関わるいくつかのエピソードです。エピソードを通じて「相撲風邪」「力士風邪」という言葉を初めて知りました。
 ネットで見つけた佐賀新聞の「有明抄」(1月8日)を紹介しましょう。「谷風邪」と題するコラムの一部です。

 「昭和の大横綱双葉山(ふたばやま)が69連勝を記録するまで、約150年間破られることがなかったのが江戸時代に活躍した第4代横綱谷風(たにかぜ)の63連勝。この連勝の後、負け一つを挟んでさらに43連勝した。足かけ十年間でたった1敗。まさに無双である。
 ところが、谷風は寛政7(1795)年1月9日、現役のまま、あっけなく急逝する。当時流行していた風邪が原因だった。『わしを土俵で倒すのは無理だから、風邪をひいた時に来い』と豪語していたが、世間は谷風がひいた風邪を『谷風邪』と呼んだ(現代書館『相撲大事典』)」。

 それから100年余。1918(大正7)年の春、スペイン風邪がアメリカで流行し始めた直後、日本でも力士の間に「相撲風邪」が流行りました。スペイン風邪の「先触れ」だったのではないか、と毎日新聞の「余錄」(2020年5月15日)は当時の様子を振り返ります。

 「『春のさきぶれ』といえば何か聞こえが良いが、実は途方もない惨事の予兆のことである。1918年4月、台湾巡業中の尾(お)車(ぐるま)部屋の真砂石(まさごいわ)ら3人の力士が謎の感染症により急死したのが、その発端だった。
 翌月の東京の夏場所は高熱などによる全休力士が相次いだ。世間はこれを『相撲風邪』『力士風邪』と呼んだが、実はこの謎の感染症こそが同年初めから米国で流行の始まった『スペイン風邪』とみられている」


 それからさらに100年後、つまり谷風が死んで200年あまり後の2020年5月13日。高田川部屋の三段目力士、勝武士(28歳)が新型コロナウイルスで亡くなりました。5月24日に初日を迎える予定だった大相撲の夏場所は中止になり、7月19日初日の名古屋場所が場所を変えて国技館で開かれることになりました。
 昔「一年を二十日で暮らすよい男」と言われた力士も、今では六場所で90日、それに地方巡業が加わり「過密労働」とも言われています。冬でも裸で勝負ですから「相撲風邪」を追放するためには「働き方改革」が必要なのかもしれません。

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