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特集コラム 人間の声
独立メディア塾 編集部人間の声は、その日に因んだ論説記事で、時事のさまざまな問題に対し、独立メディア塾としての意見や主張とともに年表に掲載されている。
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「夕焼け、小焼けの あかとんぼ」
三木露風(1889年=明治22年6月23日~ 1964年12月29日)が作詞した童謡「赤とんぼ」の冒頭。1921年に発表した童謡集「真珠島」に収録し、山田耕作が作曲した。三木は日本を代表する詩人、...
2022.12.29
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「無声映画は世界に通じる」
「喜劇の王様」チャーリー・チャップリン(1889年4月16日~1977年12月25日)の言葉。イギリス出身の映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー。 米国を追放されて20年が過ぎた19...
2022.12.25
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「ツラで飯をく食うというのは好きじゃない」
三船敏郎(1920年4月1日~1997年12月24日)は日本を代表する映画俳優。黒澤明監督と組んで「羅生門」「七人の侍」「用心棒」など多数の映画の主役を演じた。『羅生門』はヴェネチア国際映...
2022.12.24
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「脱獄宣言するときは腹から絞り出すような太い声で相手を威圧するんだ」
白鳥由栄(1907年=明治40年7月31日~1979年2月24日)は、日本の元受刑者。収容先の刑務所に服役中、26年間に4回の脱獄を実行し、「昭和の脱獄王」として名を馳せた。表題の言葉は看守が...
2022.12.22
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「人生の最後に、いくらの財産を得たかではない。何人のゴルフ仲間を得たかである」
ボビー・ジョーンズ(1902年3月17日~1971年12月18日)は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ市生まれのゴルファー、弁護士。世界4大大会を年間グランドスラムで制した。終生、アマ...
2022.12.18
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「文化勲章の名前が大きすぎる。自由でいたい。なんでもなくいたい。ただ芝居を芝居をしていたいだけ」
日本を代表する舞台女優、杉村春子(1906年=明治39年1月6日~ 1997年=平成9年4月4日)は1995年の文化勲章を辞退した。(10月27日、朝日新聞朝刊)。11月3日の宮中伝達式では遠藤周作、...
2022.11.03
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「勝札(かちふだ)ではなくて負札(まけふだ)だ」
昭和20年7月、政府は軍事費の調達をはかるため、富くじ「勝札(かちふだ)」を発売した。1枚10円で1等は10万円が当たる。しかし、最終売り出し日は日本が終戦日の8月15日。抽せん日はそれ...
2022.10.29
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「一頭の巨大な豚である。全く豚といふ他ない」
吉田健一(1912年=明治45年4月1日~1977年8月3日)が「交友録」で引退後の父、吉田茂(1878年=明治11年9月22日~1967年10月20日)について書いた。健一は文芸評論家、翻訳家、小説家。「...
2022.10.29
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「私は倒れた馬にまたがる正義の騎士のようだった」
エリオット・ネス(1903年4月19日~1957年5月16日)はアメリカ合衆国の酒類取締官。禁酒法時代のシカゴは“向こう傷のアル”と呼ばれたアル・カポネ(1899年1月17日 -~1947年1月25日)が君...
2022.10.24
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「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでいることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作っていることはさみしくない」
放浪、漂泊の俳人、種田山頭火(1882年=明治15年12月3日1940年10月11日)の日記から(昭和5年10月20日)。 泥酔して市電の前に立ちはだかった 自由律俳句の俳人で代表作「分け...
2022.10.20
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「御注文の本は『消化機疾患の診断と治療』というのでしょうか、お送りしてみます」
宮本百合子(1899年=明治32年2月13日~1951年1月21日)は小説家、評論家。日本共産党に入党し、宮本顕治(1908年10月7日~2007年7月18日)と結婚した。日本の左翼文学、女流文学を代表す...
2022.10.18
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「長嶋から三振を取った」
吉田治雄(1935年4月6日~1995年10月17日)は元東京大学野球部のエース。卒業後、テレビ朝日に入社。群馬県立高崎高校の時代から投手として知られ、東大入学後もエースとして活躍した。6...
2022.10.17
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「囚人番号203はおらんか」
天野芳太郎(1898年=明治31年7月2日~1982年10月14日)は大正、昭和の実業家、アンデス文明研究家。30歳で海外移住を決意、パナマで天野商会を設立した。1941年、日本がハワイの真珠湾を...
2022.10.14
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「自分はソクラテスではないが、食糧統制法の下、敢然ヤミと闘って餓死するつもりである」
山口良忠(1913年=大正2年11月16日~1947年10月11日)は東京地裁判事。食糧管理法違反など経済犯を担当していたが、闇市の闇米を自ら拒否した末に餓死した。表題の言葉は山口の「病床日記...
2022.10.11
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「軍備競争は人間の仕事のなかで最も重要なものとなってしまった」
ゴードン・スミス(1858年~1918年11月6日)は、イギリスの博物学者、旅行者。日本を6度訪れ、数年滞在した。表題の言葉は1898年12月24日に日本へ初めて到着したときの第一印象を記した日...
2022.10.08
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「この国ではひとりとしてかっこいい男を見かけない。ところで女のほうはまるで反対だ」
ゴードン・スミス(1858年~1918年11月6日)は、イギリスの博物学者、旅行者。日本を6度訪れ、数年滞在した。表題の言葉は1898年12月24日に日本へ初めて到着したときの第一印象を記した日...
2022.10.07
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「鶴首して気長に待つ」
新村出(しんむら・いずる、1876年=明治9年10月4日 ~1967年8月17日)は、日本の言語学者・文献学者。1955年(昭和30年)に初版が発刊された『広辞苑』の編纂・著者として知られる。業績...
2022.10.04
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「天皇の写真 許さじ」
1945年9月28日、朝日新聞は昭和天皇が前日、アメリカ大使館にマッカーサー元帥(連合国軍最高司令官)を訪問した記事を掲載した。続いて29日には毎日、読売、朝日がこのときの写真を掲載し...
2022.09.29
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「月光の下で会見」
1950年、朝日新聞は「伊藤律会見記」という捏造記事を掲載した。当時、伊藤を含む9人の共産党幹部が団体等規制令違反として全国に手配され、地下に潜っていた。9月27日付け夕刊と27日の朝...
2022.09.27
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「人生で最も不幸なのは青春期」
アルベルト・モラヴィア( 1907年11月28日~1990年9月26日)は、イタリアの小説家、評論家。ネオレアリズムの代表的存在。「無関心な人々」「軽蔑」「1934年」など多くの作品が日本でも翻...
2022.09.26
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「投げたボールの『意図』について一球一球説明できなければメジャーに行けない」
(野茂英雄「ドジャー・ブルーの嵐」から)。野茂英雄(1968年8月31日 ~)は、元プロ野球投手。近鉄バッファローズからメジャーへ。メジャーでノーヒットノーランを2回達成、最多奪三振を2回獲得、新人王受賞というアジア人選手初...
2022.09.17
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「昨日の『朝日』に母の死亡広告が出ている。もう一週間でいい、生きのびて下すったら」
中井英夫(1922年=大正11年9月17日~1993年12月10日)は、日本の短歌編集者、小説家、詩人。日本の三大奇書とされる代表作の『虚無への供物』の作者として著名。表題の文章は「中井英夫戦...
2022.09.17
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「アラブ諸国は油田を爆破する」
OPEC(Organization of the Petroleum Exporting Countries)は国際石油資本などから石油産出国の利益を守ることを目的として、1960年9月14日に設立された。設立当初は、イラン、イラク、...
2022.09.14
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「エノケンが出演しただけで歌舞伎を愚弄したとは何事か」
黒澤明(1910年3月23日~1998年9月6日)は日本を代表する映画監督。「生きる」「羅生門」「七人の侍」「用心棒」などの作品を監督、国際的な賞を多数獲得した。表題の言葉は黒沢監督の「虎の...
2022.09.06
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「東京の下町そのものが失われた」
エドワード・サイデンステッカー(1921年2月11日~2007年8月26日)は著書「東京 下町山の手」を大正12年9月1日の関東大震災から初めている。明治の東京を象徴する建物が数多く焼け落ちた...
2022.09.01
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「一生涯、私は大道芸人」
ギリヤーク尼ケ崎(1930年8月18日~)は、日本の大道芸人、舞踊家。日本国内だけでなく、世界の街頭で、ふんどし1つで踊りつづけた。1968年10月26日、38歳の尼ケ崎が初めて街頭で踊ったの...
2022.08.18
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「この世の中には恐ろしい病気があるねえ。それは“死ねない”という病気だよ」
作家深沢七郎(1914年1月29日~1987年8月18日)の言葉。73歳。(「知識人99人の死に方」の中の末藤浩一郎氏執筆から)「中央公論」で「風流夢譚」を発表したが、皇居が民衆に占拠され天皇...
2022.08.18
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「昔は縁の下に蟻が相撲を取る音を聴いたという話がある」
柳田国男(1875年=明治8年7月31日~1962年8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦は廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。 1951年文化勲...
2022.08.08
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「建築家になってみて、実はこの仕事に随分がっかりしました。もっと一般社会のために役立っていると思っていましたが、特権階級の方々のために仕事をすることが多い。立派な建築をつくり、目に見えない権力や財力を世間に知らしめるわけです。医者や弁護士と違い、お客さんがハッピーなときにお付き合いし、好きなものをつくらせてもらう恵まれた仕事でもあります」
建築家坂茂(1957年8月5日~)の朝日賞2014年度受賞式での挨拶から。 「紙パイプやコンテナ使い仮設住宅」 坂はマイノリティ、弱者の住宅問題に関心を寄せ、海外の難民キャン...
2022.08.05
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『よぅ、ネェちゃんキレイダね』男を見れば『よぅ!財バツ』
渥美清(1928年3月10日~1996年8月4日)は、コメディアン、俳優。代表作は『男はつらいよ』。シリーズ48作品で「車寅次郎」を演じた。本名田所康雄。没後に国民栄誉賞を受賞。表題の言葉...
2022.08.04
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「Cool heads but Warm hearts.」
(冷静な頭脳、されど温かい心)英国の著名な古典派経済学者、アルフレッド・マーシャル(1842年7月26日~1924年7月13日)が1884年12月にケンブリッジ大学の政治経済学教授に選出され、翌年の1885年2月に教授就任を記念...
2022.07.13
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「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」
中国唐代の詩人、于武陵(う・ぶりょう)の「勧酒」を井伏鱒二(1898年2月15日~1993年7月10日)が翻訳した。元の詩を超える傑作として定着した。井伏は日本の小説家。代表作に「山椒...
2022.07.10
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「上を向いて歩こう、は反安保の歌」
永六輔(1933年4月10日~2016年7月7日 )は放送作家、作詞家、随筆家。1961年7月、坂本九が歌って、国際的にヒットした「上を向いて歩こう」の作詞者。 作曲は中村八大(1931年1月20...
2022.07.07
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「貧しさに喘(あえ)ぎ 自由に焦がれて 群れなす汝が民を。我に送れ」
フランスから贈られた米国の自由の女神像。正式名称は「世界を照らす自由 (Liberty Enlightening the World)の像」。その台座には、米国の詩人エマ・ラザラスの詩が刻まれている。 ...
2022.07.04
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「誰がために鐘は鳴る」
(For Whom The Bell Tolls.)ジョン・ダン(英国の16~17世紀の詩人、晩年はイギリス国教会司祭)の瞑想録17番「死に臨んでの祈り」から。 米国の作家アーネスト・ヘミングウェイ(1899年7月21日~1961年7月2日)...
2022.07.02
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◇「子どもは小さな大人ではない」
◇「むすんでひらいて 手を打って むすんで またひらいて」最初の言葉はフランスで活躍した哲学者、政治哲学者、作曲家であるジャン=ジャック・ルソー(1712年6月28日~1778年7月2日)の「エミール」(今野一雄訳)の第2編から。 また作曲者...
2022.07.02
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「尋ね人の時間です」
第二次世界大戦が終わってからの混乱期に行方不明になった人、消息が分からない人などを探すためにNHKが始めたラジオ番組。1946(昭和21)年7月1日から1962(昭和37)年3月31日まで。視...
2022.07.01
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「死よ、驕るなかれ」
(Death be not proud)米国のジャーナリスト、ジョン・ガンサー(1901年8月30日~1970年5月29日)は脳腫瘍で死んだ17歳の息子の回想記「死よ 驕るなかれ」を書いた。このタイトルはジョン・ダン(英国の16~17...
2022.06.30
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「私は宿命的に放浪者である」
林芙美子(1903年=明治36年12月31日~1951年6月28日)の代表作「放浪記」の書き出し部分。林は自伝的作品や詩集「蒼馬を見たり」など多数の作品を残した。森光子の主演で芝居にもなった...
2022.06.28
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「私は、生きている」
2018年6月23日の「慰霊の日」の沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県浦添(うらそえ)市立港川中学校3年相良倫子(さがら・りんこ)さん(14)が読んだ平和の詩「生きる」。感動した人、批判し...
2022.06.23
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「社会は動いており、裁判所も動いている」
斜陽の映画界にあって、「ポルノ映画」だけが救いのような時代だった。負債を抱えた日活は1971年、それまでの映画製作を中断し、「ロマンポルノ路線」に軸足を移した。「それまでの映画...
2022.06.10
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「全裸の女が米軍基地を疾走する」
第三プロダクションの武智鉄二監督(1912年12月10日~1988年7月26日)は、演劇評論家、演出家、映画監督。プロダクションの代表。役者の型や口伝に影響されない武智歌舞伎を世に問うたこ...
2022.06.09
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「希望には羽がある」
エリザベス・コルバート(1961年7月6日~)は、アメリカ人ジャーナリスト。「ニューヨークタイムズ」記者を経て「ニューヨーカー」誌記者に。生物の危機を伝える著書「6度目の大絶滅」で2...
2022.06.04
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「7羽いたぞ。全部で175ドルだ」
1844年6月3日、火の島として知られるアイスランドのエルデイ島でオオウミガラスという大きな鳥が地上から姿を消した。17世紀ごろから羽毛や脂を取るために大量捕獲され、卵の採取のため...
2022.06.03
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「詩とは、所詮、ものゝあはれだ…」
高森文夫(1910年1月20日~1998年6月2日)は詩人、政治家。中原中也と親しかった。表題の言葉は、中也を偲んだ「詩とは?」から(福島泰樹著「誰も語らなかった中原中也」ほか)。詩の全...
2022.06.02
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「ハンディ30の人は、ゴルフをおろそかにする。
ハンディ20の人は、家庭をおろそかにする。
ハンディ10の人は、仕事をおろそかにする。
ハンディ5以下の人は、すべてをおろそかにする」デイビッド・ロイド・ジョージ(1863年1月17日 ~1945年3月26日)は、イギリスの元首相、貴族。 第一次世界大戦中の1916年にアスキス首相に代わって首相に就任した。ゴルフ好き人間。...
2022.05.28
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「エルサレムのオリーブの丘に立つ。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、三つの聖地が一望できる。改めて不思議さを感じる」
(「戦場特派員」橋田信介著から)2004年5月27日、イラクの首都バグダッドの南約30キロのマハムディヤの近郊で、日本人フリージャーナリスト、橋田信介(1942年8月22日~2004年5月27日)らが襲撃され殺害された。 (10...
2022.05.27
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「極楽の余り風が吹き抜ける」
高橋順子(1944年8月28日~)は詩人。「歴程」同人。俳号は泣魚(きゅうぎょ)。表題の言葉は著書「風の名前」の「夏の風」から。連れ合いが少年時代、暑さで家にゴロゴロしていると母親...
2022.05.17
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「稽古日数を十分とること」
京マチ子(1924年3月25日~2019年5月12日)はデビュー2年で国際派女優に躍り出た。主演の「羅生門」(黒沢明監督)は1950年公開、「雨月物語」(溝口健二監督)は1953年、同じ年に「地獄...
2022.05.12
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◇「行列の行きつくはては餓鬼地獄」
◇「黒幕の影からいよいよ角を出し」萩原朔太郎(1886年=明治19年11月1日~1942年5月11日)は詩人。「月に吠える」で衝撃のデビューを飾った。以後、現代詩の先頭を走り続けた。表題の言葉は、肺炎を患い重態になった晩年...
2022.05.11
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「書物を焼くものは、早晩、人間を焼くようになる」
ハインリヒ・ハイネ( 1797年12月13日~1856年2月17日)。 ナチが政権を取り、ヒトラーが首相についた1933年の5月10日、宣伝相のゲッペルスは、ベルリンを始め全国すべての大学所在地...
2022.05.10
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「時は春、日は朝、朝は七時…」
ロバート・ブラウニング(1812年5月7日~ 1889年12月12日)は、イギリスの詩人。上田敏の訳詩集『海潮音』(1905年)の中の「春の朝(はるのあした)」が有名。 殺人現場で歌われ...
2022.05.07
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「湯豆腐や いのちのはての うすあかり」
久保田万太郎(1889年=明治22年11月7日 ~1963年5月6日)は、日本の小説家、劇作家、俳人。表題の句は代表作とされている。 1942(昭和17)年に日本文学普及会より菊池寛賞を受領。...
2022.05.06
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「マッチ擦るつかの間海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
寺山修司(1935年12月10日~1983年5月4日)日本の歌人、詩人、劇作家、映画監督と様々なジャンルで前衛的な活動をした。演劇実験室「天井桟敷」を主宰。表題の短歌は18歳の時の作品。 ...
2022.05.04
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「ロバと王様とわたし
あしたはみんな死ぬ
ロバは飢えで
王様は退屈で
わたしは恋で
時は5月」フランスの詩人、映画作家、童話作家、ジャック・プレヴェール(1900年2月4日~1977年4月11日)の詩。「プレヴェール詩集」(小笠原豊樹訳)「五月の唄」から。 映画「天井桟敷の...
2022.05.01
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「もう漫画を描くつもりはない」
長谷川町子(1920年1月30日 ~ 1992年5月27日)は、日本の女性漫画家。「昭和を描いた国民的漫画家」と評されている。代表作に「サザエさん」、「いじわるばあさん」、「エプロンおばさ...
2022.04.22
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「ニュートンは最後の魔術師」
20世紀を代表するイギリスの経済学者、ジョン・メイナード・ケインズ(1883年6月5日~1946年4月21日)にとって、1936年は画期的な年だった。代表作となる「雇用・利子および貨幣の一般理...
2022.04.21
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「歯は一本だけになり、時々痛み、奈良漬も食べかね候」
伊能忠敬(1745年2月11日~1818年5月17日)は、江戸時代の商人、天文学者・地理学者・測量家。17年をかけて全国を歩き日本地図を作った。1800年4月19日、55歳の時に江戸を出発して「蝦夷...
2022.04.19
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「奴隷は憂鬱と付き合う方法を持っていた。ブルースだ」
カート・ヴォネガット(1922年11月11日~2007年4月11日)はアメリカの小説家、エッセイスト、劇作家。この言葉は「これで駄目なら 若い君たちへ―卒業式講演集」から。2004年4月17日、イ...
2022.04.17
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「文は人なり」
ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン(1707年9月7日~1788年4月16日)は、フランスの博物学者、数学者、植物学者。アカデミー・フランセーズの会員になった1753年、記念講演「...
2022.04.16
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「結婚をしないで、なんて私は馬鹿だったんでしょう。これまで見たものの中で最も美しかったものは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。」
グレタ・ガルボ(1905年9月18日~1990年4月15日)はスウェーデン生まれのハリウッド女優。 無声映画の時代からの国際的女優。『肉体と悪魔』(1926年)の後、初のトーキー映画『アン...
2022.04.15
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「見よ!勇者は帰る」
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル( 1685年2月23日~1759年4月14日)は、ドイツ出身の作曲家。イタリアで成功した後、イギリスで活躍し、イギリスに帰化した。後期バロック音楽の作曲家...
2022.04.14
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「昨日まで人のことかと思いしが、俺が死ぬのか、それはたまらん」
大田南畝(おおた なんぽ=蜀山人)の辞世の歌。(1749年4月19日~1823年5月16日=文政6年4月6日)。天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 登城の途中に転倒して死亡 ...
2022.04.06
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「普通の女の子に戻りたい」
キャンディーズ解散。1977年7月17日、日比谷野外音楽堂で開かれた「サマージャック‘77」というコンサートで突然、引退を表明した。伊藤蘭(愛称ラン)、藤村美樹(愛称ミキ)、田中好子...
2022.04.04
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「我々は労働力を呼んだ。そしてやって来たのは人間たちだった。が、彼らはこの国の裕福さを食い尽くしはしなかった。それどころか、彼らはこの裕福さのために不可欠だった」
キャンディーズ解散。1977年7月17日、日比谷野外音楽堂で開かれた「サマージャック‘77」というコンサートで突然、引退を表明した。伊藤蘭(愛称ラン)、藤村美樹(愛称ミキ)、田中好子...
2022.04.04
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◇「機関銃眉間ニ赤キ花ガ咲ク」
◇「逆襲ノ女兵士ヲ狙ヒ撃テ」
◇「悉く(ことごとく)地べたに膝を抱けり捕虜」俳人西東三鬼(1900年~1962年)の句集「旗」より。歯医者をするかわら新興俳句運動の中心人物だった。戦争に関わる句で弾圧を受け執筆停止に。 代表句に「水枕ガバリと寒い海がある...
2022.04.03
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「一生を棒に振りし男此処に眠る。」
高村光太郎(1883年〈明治16年〉3月13日~1956年4月2日) 無価値に生きた男の愛 彼は無価値に生きたり。 彼は唯人生に偏満する不可見の理方に貫かれて動きたり。 彼は常に自...
2022.04.02
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「『鉄腕アトム』が代表作といわれて、僕が技術革新によって幸福を生むというビジョンを持っているように言われ、大変迷惑している」
漫画家手塚治虫(1928年=昭和3年11月3日~1989年2月9日)の言葉(「ぼくのマンガ人生」から)。「鉄腕アトム」の原作は1951年から雑誌「少年」に連載された「アトム大使」。翌1952年4月...
2022.04.01
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「支配者には金を、その補助者には銀を、職人などには鉄と銅を」
古代ギリシアの哲学者プラトン(紀元前427年~紀元前347年)が著書「国家」で述べている考え。国家を統治するにあたり「高貴な嘘」(royal lie,magnificent myth、noble lies)の役割を...
2022.04.01
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「大衆の熱狂は計算できない」
アイザック・ニュートン(1643年1月4日~1727年3月31日)は、万有引力の法則などで知られたイングランドの数学者、物理学者、天文学者、神学者。だが全く別の4つの顔を持っていた。1つは...
2022.03.31
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「田園にいれば私の不幸な聴覚も私をいじめない。そこでは一つ一つの樹木が私に向かって『神聖だ、神聖だ』と語りかけるようではないか?森の中の歓喜の恍惚!」
(ロマン・ロラン著「ベートーヴェンの生涯」の「手記」から)1994年12月1日、ベートーヴェン(1770年12月16日頃~ 1827年3月26日)の遺髪がサザビーズのオークションにかけられ、2人の米国人が3600ポンドで落札した。「ベートーヴェンの遺髪(ラッ...
2022.03.26
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「若い女は美しい。――だが年をとった女は、それ以上に美しい」
ウォルター・ホイットマン( 1819年5月31日~1892年3月26日) はアメリカの詩人、随筆家、ジャーナリスト。「ホイットマン詩集」(白鳥省吾訳)「草の葉」の「路傍にて」から。年取った女...
2022.03.26
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「芸術とは最も美しい嘘のことである」
ドビュッシー( 1862年8月22日~1918年3月25日)は、フランスの作曲家。「亜麻色の髪の乙女」などで知られる。表題の言葉は『音楽のために ドビュッシー評論集』(杉本秀太郎訳)の「音楽...
2022.03.25
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「財貨を失ったのはーーいくらか失ったことだ!
名誉を失ったのはーー多く失ったことだ!
勇気を失ったのはーーすべてを失ったことだ!
生まれなかったほうがよかっただろう」
(ゲーテ格言集から)半分賢い、半分愚か、が最も危険 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年8月28日~1832年3月22日)は、ドイツの詩人、劇作家、小説家、科学者、政治家、法律家。小説『若きウ...
2022.03.22
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「金栗、ゴールイン!」
金栗四三(1891年=明治24年8月20日~1983年11月13日)は、マラソン選手。「かなくり・しそう」と読む。日本人初の五輪代表選手としてマラソンに参加した。各マラソン大会や東京箱根間往復...
2022.03.21
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「愛人といっしょに病棟の方に歩いていった父のうしろ姿を見送ったかどうかは、憶えていない」
須賀敦子(1929年1月19日~ 1998年3月20日)は日本の随筆家・イタリア文学者。1991年、「ミラノ 霧の風景」で女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞。主な著書に「コルシア書店の仲間たち」...
2022.03.20
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「土器に残る平行線は、焼いた人の指先だ!」
英国の医者であり、指紋研究者のヘンリー・フォールズ(1843年6月1日~ 1930年3月19日)は指紋が一生変わらないという不変性を証明し、犯罪捜査などに使う道を開いた。1873年、東京・築地...
2022.03.19
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「撮影所は政治家に屈服した」
米国の映画監督、フレッド・ジンネマン(1907年~1997年)はユダヤ系ドイツ人。「ジュリア」「真昼の決闘」「日曜日には鼠を殺せ(原題=behold a pale horse)」「地上より永遠に」「ジャ...
2022.03.14
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「着地を止(と)めてこそチャンピオン」
内村航平(1989年1月3日~)は、日本のプロ体操競技選手。個人総合では国内外において2008年の全日本選手権から2017年のNHK杯まで約9年間に渡り無敗の40連勝を記録し、「史上最高の体操選...
2022.03.12
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「逃げるな、火を消せ、空爆だ」
1945(昭和20)年3月10日午前0時8分、東京は米軍B29爆撃機344機による東京大空襲に見舞われた。約2時間半の間に落とした焼夷弾は約2,000t以上、死者は約10万人以上といわれる。空襲は日本...
2022.03.10
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「お目にかかりたさに、山を越えてまいりました。
これからまた山を越えて家へ戻ります」金子みすゞ(1903年4月11日 ~1930年3月10日)は西条八十の詩を愛し、投稿した詩が八十の目にとまった。1927年夏、八十が九州の講演に行く途中、下関駅でわずか5分の、最初で最後の対面が...
2022.03.10
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「私は地下鉄道の車掌として八年活動してきましたが、
一度として脱線させたことはありませんし、
一人の乗客も失ったことはありません」ハリエット・タブマン(1820年ごろ誕生~1913年3月10日)は奴隷だった27歳の時、米国南部メリーランド州から北部に逃亡した。その後、何度も故郷に戻って多くの黒人奴隷を北部やカナダに逃...
2022.03.10
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「漢字文化は女性蔑視、女偏を人偏に」
「嫉妬、妨害、姦計。穏やかでないこれらの熟語に共通するのは『女へん』の漢字である。国際法学者の小寺初世子さんは『女性蔑視の観念を刷り込む』として女へんを人べんに変えることを著...
2022.03.08
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「黒岩涙香君のような出兵論者は、誰よりも先に前衛の一人として出かけてもらいたいものだ」
薄田泣菫(1877年=明治10年5月19日~1945年10月9日)は、詩人、随筆家。大阪毎日新聞の学芸部長を務めた。1915年(大正4年)から1930年まで大阪毎日新聞などの新聞や雑誌に「茶話」と題す...
2022.03.04
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「もうおねがいゆるして ゆるしてください」
2018年3月2日に目黒区で児童虐待によって船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5歳)が父親に虐待され死亡した事件で、結愛ちゃんがノートに書き残した言葉。 食事を与えず暴行も 2018年3月2...
2022.03.02
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「なぜ、こんなにいい女体なのですか」
斎藤茂吉(1882年5月14日~1953年2月25日)は歌人、精神科医。大正から昭和前期にかけて活躍したアララギ派の中心人物。精神科医としては青山脳病院(現在の都立梅ヶ丘病院や斉藤病院の院長...
2022.02.25
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「色欲消耗し尽くせば人の最後は遠からざるなり。
依てここに終焉の時のことをしるし置かむとす。」作家永井荷風(1879年12月3日~1959年4月30日)は38歳から79歳の死の直前まで日記を書いた。その「断腸亭日乗」(だんちょうていにちじょう)の1936年(昭和11年)2月24日の遺言から。 ...
2022.02.24
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「記憶にございません」
小佐野賢治(1917年2月15日 ~1986年10月27日)は実業家。国際興業グループ創業者。表題の言葉は1976年(昭和51年)2月16日、ロッキード事件に関し衆議院予算委員会で全日空の若狭得治社長...
2022.02.16
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「保育園落ちた、日本死ね!」
2016年2月15日に投稿された匿名ブログが社会の関心と共感を集めた。「ハフポスト日本版」(2016年3月15日)のメール取材によると、投稿者は東京都に住む30歳代の女性。夫婦と男の子一人。...
2022.02.15
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「四十五ねんのあいだわがままお
ゆてすみませんでした(略)
ミナサン
あとわ
よろしくたのみます」木村セン(1891年=明治24年3月8日~1955年2月14日)は18歳で群馬県吾妻郡の農家に嫁ぎ、一心不乱に働く日を送った。5男4女をもうけたが、3人は結核などで早く失った。1955年、凍った地面...
2022.02.14
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「ジェームズ・ボンド、この短くてロマンチックでない名前が必要だ」
イギリス生まれの作家イアン・フレミング(1908年5月28日~1964年8月12日)は「007」の主人公の名前を決めかねていた。熱心なバードウォッチャーだったフレミングは、米国の著名な鳥類学者...
2022.02.14
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「ただ貴方のやさしさが怖かった」
南こうせつ(1949年2月13日~)は、フォークシンガー。元かぐや姫のリーダー。1970年にデビューし1973年に発売した『神田川』は160万枚のヒットを記録。解散後も「夢一夜」などのヒット曲...
2022.02.13
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「国務省には共産主義者がうようよしている」
アメリカ合衆国の上院議員、ジョセフ・マッカーシー(1908年11月14日~1957年5月2日)が1950年2月9日、米国ウ ェストバージニア州のウィーリングで行った演説。「自分も国務長官もその名前...
2022.02.09
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「日の丸飛行隊」
1972年2月3日に開幕した札幌冬季五輪は、アジアで初めて開かれた冬の大会。開会式には5万4千人の大観衆が集まった。35か国・地域から選手1128人(男性911人女性217人)と527人の役員が参加...
2022.02.03
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「恥ずかしながら帰って参りました」
横井正一(1915年3月31日~1997年9月22日)は、日本の陸軍軍人、評論家。最終階級は陸軍軍曹。太平洋戦争終結から28年目、1972年(昭和47年)1月24日の夕暮れ時、アメリカ領グアム島で現地...
2022.02.02
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「あの忌まわしい事件―私は隠れて暮らすようになった」
作家深沢七郎(1914年1月29日~1987年8月18日、73歳没)の「流浪の手記/深沢七郎」から。1957年、「楢山節考」で第1回中央公論新人賞を受賞し、作家デビュー。皇居が民衆に占拠され、天皇...
2022.02.01
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「日本人の出来の悪さが心細い」
大佛次郎(1897年=明治30年10月9日~1973年4月30日)は小説家。表題の言葉は「大佛次郎敗戦日記」の1945年1月30日から。大佛は教師、外務省勤務を経て、関東大震災を機に文筆生活に入る。...
2022.01.30
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「死ぬことは構わないけど、夫をあとに残すことになるなんて。だれがあの人の面倒をみるのですか。あの可哀想な人はどうなるの?」
ローズ・ロダン(1844〜1917)の言葉。ローズはフランスの彫刻家オーギュスト・ロダン(1840年11月12日~1917年11月17日)の妻。ロダンは代表作『地獄の門』、その一部を抜き出した『考え...
2022.01.29
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「わが亡きあとに人権は甦れ」
帝銀事件の犯人として死刑を宣告された平沢貞道、(1892年=明治25年2月18日~1987年5月10日)は、日本のテンペラ画家。 帝銀事件は1948年(昭和23)1月26日、東京都豊島区の帝国銀行椎...
2022.01.26
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「天国までついてきてくれ。そうすればあの世でも最高のモデルを持つことができる」
アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ(1884年7月12日~1920年1月24日)は、イタリアの画家、彫刻家。主にパリで制作活動した。芸術家の集うモンパルナスで活躍し、エコール・ド・パリ(...
2022.01.24
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「いつも誰かが、火の見から、双眼鏡でのぞいています」
安部公房(1924年=大正13年3月7日~1993年1月22日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。表題の言葉は「砂の女」から。「壁」で芥川賞受賞。世界的に読者を獲得し、ノーベル文学賞の候補に...
2022.01.22
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「子供たちのための食糧を送ってもらえないのなら、彼らの墓を掘るためのシャベルを送ってください」
英国の女優でハリウッドで活躍したオードリー・ヘップバーン(1929年5月4日~ 1993年1月20日)は晩年ユニセフ大使を務めた。冒頭の言葉はエチオピアの惨状を視察したとき、神父が彼女に訴...
2022.01.20
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「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」
尾崎紅葉(1868年=慶應3年1月10日~1903年10月30日)は小説家。表題の言葉は「金色夜叉」の主人公貫一のセリフとして広く知られている。舞台・映画では小説より簡略化された、このセリフ...
2022.01.17
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「葬式の類は一切無用のこと 弔問、供物の類はすべて固辞すること。生者は死者のためにわずらわされるべきにあらず」
梅原龍三郎(1888年=明治21年3月9日~1986年1月16日)は画家。ルノワールに師事した。表題の言葉は梅原の遺言として知られている。 (1月17日読売朝刊から) 高峰秀子の「私の...
2022.01.16
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「母なき子のさびしさ」
双葉山定次(1912年2月9日~1968年12月16日)は、大分県出身の第35代横綱の言葉。本名は穐吉(あきよし)定次。 1939年(昭和14年)1月15日、双葉山は西前頭三枚目の安芸ノ海に敗れ、連...
2022.01.15
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「犬だ。犬。間違いない。2頭だ」
1959年(昭和34年)1月14日、南極の昭和基地を目指して、大型ヘリコプター2機が宗谷から飛び立った。無人の基地まで163キロ。飛行時間1時間10分。オレンジ色の昭和基地が見えてきた。その...
2022.01.14
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「舌を抜かれる女たち」
メアリー・ビアード(1955年1月1日生まれ)は古代ローマ文明を研究する英国学者。ケンブリッジ大学古典学教授。ロンドンタイムズ紙文芸付録の古典文学編集者。(2020年1月10日出版時)。表...
2022.01.10
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「私は歌う、私は戦う、私は泣く、私は祈る、私は笑う、私は働きそして私は不思議に思う」
ジョーン・バエズ(1941年1月9日~)は米国のシンガーソングライター。フォークロックの草創期から、今も第一線で活動し続けている。1960年10月、ファースト・アルバム『ジョーン・バエズ...
2022.01.09
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「体育会系の暴力学生、出て行け」
1968年、1969年にかけて日本大学で大学闘争が起きた。理工学部教授が裏口入学斡旋で賄賂をもらい、さらに大学の使途不明金と脱税が合計34億円になることが立て続けに明るみに出た。これを...
2022.01.06
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「カップヌードル!それで行こう」
安藤百福(1910年=明治43年3月5日~2007年1月5日)は日清食品創業者。インスタントラーメン、カップヌードルの開発者。 (安藤百福発明記念館編「転んでもただでは起きるな! 定本・...
2022.01.05
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◇①「改良すれば、きっとうまくいく!」
◇②「15歳の盲学校の生徒が考えだしたとは、信じられない!」
◇③「六つの光は輝きて闇の夜は開け初めぬ」①ルイ・ブライユ(1809年1月4日~1852年1月6日)。 ②石川倉次(1859年2月28日=安政6年1月26日~ 1944年12月23日)。 ③左近充孝之進(1870年5月2日=明治3年4月2日~1909月年11月11日)。 ...
2022.01.04
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「スパイの仮面を脱がして」
女優岡田嘉子(1902年4月21日~1992年2月10日)は戦前の大女優。軍国主義の時代に、プロレタリア運動の演出家・杉本良吉と1938年(昭和13年)1月3日、国境の樺太を越えてソ連に亡命した。...
2022.01.03
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「わたしは、順風をはらんだ帆を、みずからおろしてしまいました。正確にいうなら、年齢四十八歳を迎えた昭和十九年(1944年)正月二日です」
弁護士正木ひろし( 1896年=明治29年9月29日~1975年12月6日)は「首なし事件」「八海事件」「チャタレー事件」など終戦直後の冤罪事件、難事件を多数手掛けた。同時に戦時中も反戦を唱え...
2022.01.02
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「日本史上空前絶後の暗黒の年明けたり」
山田風太郎(1922年1月4日~2001年7月28日)の「戦中派焼け跡日記」(1946年1月1日分)から。山田は伝奇、推理、時代の各分野で活躍した娯楽小説作家。代表作は「魔界転生」「忍法帖」シリ...
2022.01.01
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「あけましてお目出とう。今年もまたいい1年を暮らしましょうね」
宮本百合子(1899年=明治32年2月13日 ~1951年1月21日)は小説家、評論家。18歳で『貧しき人々の群』を発表し注目された。日本共産党に入党し、宮本顕治(1908年10月7日~2007年7月18日)...
2022.01.01
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「悩みを突き抜けて歓喜に到れ!」
ルドウィッヒ・ファン・ベートーヴェン(1770年12月16日頃~1827年3月26日)の交響曲「第九」を象徴する言葉。「第九」の合唱部分はフリードリッヒ・フォン・シラーの詩「歓喜に寄せて」を...
2021.12.31
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「六十、七十はなたれ小僧、男盛りは百から百から」
「いまやらねばいつできる わしがやらねばだれがやる」彫刻家平櫛田中(1872年2月23日~ 1979年12月30日)が好んで揮毫していた言葉。107歳で没。 平櫛は86歳で木彫りの大作「鏡獅子」を完成させた。戦争を挟んで20年がかり。モデルの6代...
2021.12.30
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「天井の花が消えてしまう」
南方熊楠(1867年5月18日=慶応3年4月15日~1941年12月29日)は、日本の博物学者、生物学者、民俗学者。名前の読みは「みなかた・くまくす」。 培養中の細菌を整理しているときに発熱し...
2021.12.29
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「うるさい奴を集めよう」
「喜劇の王様」チャーリー・チャップリン(1889年4月16日~1977年12月25日)は、イギリス出身の映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー。 米国を追放されて20年。チャップリン...
2021.12.25
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「ツラで飯を食うというのは好きじゃない」
三船敏郎(1920年4月1日~1997年12月24日)は日本を代表する映画俳優。黒澤明監督と組んで「羅生門」「七人の侍」「用心棒」など多数の映画の主役を演じた。『羅生門』はヴェネチア国際映...
2021.12.24
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「過去は泣き続けている」
井上ひさし(1934年11月16日~2010年4月9日)の「芝居とその周辺」に収められた「絶筆ノート」から。井上は小説家、劇作家、放送作家として幅広く活躍し、NHKで放映された「ひょっこりひょ...
2021.12.15
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「一年半、もし短と言わんとせば、十年も短なり、百年も短なり」
「東洋自由新聞」主筆の中江兆民(1847年12月8日~1901年12月13日 )は1901年(明治34年)に喉頭がんを宣告された。医者に余命一年半と言われ、のどの切開手術を受けた後、枕を抱いてうつ...
2021.12.13
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「俺だってヌーベルバーグだった」
日本を代表する映画監督、小津安二郎(1903年12月12日~1963年12月12日)は、サイレント映画時代からモノカラ―の時代を経て戦後までの約35年にわたり、日本の映画界をリードした。原節子主...
2021.12.12
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「数時間前、私は国王および帝王としての最期の職責を果たした」
英国エドワード8世(1894年6月23日~1972年5月28日)は、英国、海外自治領の国王、インド皇帝。退位後の称号ウィンザー侯爵としても知られる。 離婚歴のある平民のアメリカ人女性ウォリ...
2021.12.11
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「苦しいから注射をしてくれ、死ぬと困るから」
夏目漱石(1867年2月9日~ 1916年12月9日)の言葉。 朝日新聞は12月10日に夏目漱石の死亡記事を載せた。「本社記者夏目漱石氏は(略)最後の食塩注射を行いたるも遂に恢復するに至らず...
2021.12.09
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「平和を実現するのは女性の仕事」
ジャネット・ランキン(1880年6月11日~1973年5月18日)は米国連邦議会の両院を通じて初の女性議員になった。日本の真珠湾攻撃の翌日(1941年12月8日)、フランクリン・ルーズ―ベルト大統...
2021.12.08
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「まだ巨人に籍はある」
沢村栄治(1917年2月1日~1944年12月2日)は日本の職業野球(プロ野球)創成期の伝説の投手。1934年(昭和9年)、ベーブルースらを引き連れて来日した大リーグ選抜チームを相手に活躍した...
2021.12.02
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「I’m dreaming of a white Christmas」(ホワイト・クリスマス)
ビング・クロスビー(1903年5月3日~1977年10月14日)はアメリカの歌手、俳優。ウィキペディアによると、1930年から1954年まで、70本以上の長編映画を制作し、1,600曲以上を録音した。 代...
2021.12.01
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「老いらくの 恋は怖(おそ)るる何ものもなし」
歌人であり、実業家だった川田順(1882年=明治15年1月15日~1966年1月22日)は、人妻だった歌人の鈴鹿俊子(1909年9月18日~2008年2月20日)を弟子にしたが、やがて不倫の関係になった。...
2021.11.30
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「地雷を踏んだら、サヨウナラ!」
戦場カメラマン一ノ瀬泰造(1947年11月1日 - 1973年11月29日)の「地雷を踏んだらサヨウナラ」から。 (10月28日に沢田教一、9月7日に後藤健二、5月27日に橋田信介各氏の言葉) 「...
2021.11.29
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「紙による伝達、消える日も」
一般社団法人日本ペンクラブは2021年5月25日理事会で第18代会長に桐野夏生氏(1951年10月7日~)を選出した。桐野氏は女性初の会長。就任の挨拶でコロナ禍について「人々のコミュニケーシ...
2021.11.26
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「かく迄(まで)も心合ふことのあやしさよ」
近代文学初の女流作家、樋口一葉(1872年5月2日=明治5年3月25日~ 1896年 11月23日)が半井桃水あてに手紙を出した日の日記。桃水は新聞記者、小説家。佐伯順子編「一葉語録」の「につ記...
2021.11.23
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「権力が腐敗したとき、詩がそれを清めた」
ジョン・F・ケネディ(1917年5月29日~1963年11月22日)は第35代アメリカ大統領。1963年11月22日、テキサス州ダラスで暗殺された。その1か月前、詩人ロバート・フロストを偲ぶ式典がマサチ...
2021.11.22
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「僕は、涙の出ない目で泣いた」
ヴァイオリニスト川畠成道(1971年11月21日~)の本のタイトル。8歳の時に米国旅行中に「スティーブンソン・ジョンソン症候群」という難病にかかり、目がかすかにしか見えず、視覚の9割を...
2021.11.21
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「僕は世界でいちばん不幸で惨めな人間だ」
(「天才たちの私生活」ゲルハルト・プラウゼ著から)フランツ・シューベルト(1797年1月31日~1828年11月19日)は、オーストリアの作曲家。歌曲「野ばら」「菩提樹」「アヴェ・マリア」など日本人にも愛されてきた曲を多く作った。1814年に歌...
2021.11.19
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「人民の、人民による、人民のための政治」
エイブラハム・リンカーン(1809年2月12日~1865年4月15日)は、アメリカ合衆国の第16代大統領。ペンシルベニア州ゲティスバーグは南北戦争の激戦地。一時は兵士ら8,000人の遺体と腐った馬...
2021.11.19
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「野の鳥は野に」
中西悟堂(1895年=明治28年11月16日~1984年12月11日)は、日本の野鳥研究家。日本野鳥の会の創立者。歌人・詩人。 「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を観察し保護する運動を...
2021.11.16
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「女ごころに咎(とが)ありや」
大塚楠緒子(1875年=明治8年8月9日 ~ 1910年11月9日)は明治末期に活躍した歌人、作家。日露戦争に出征した夫を思う長詩「お百度詣で」が反戦歌、厭戦歌として批判された。上掲の歌はそ...
2021.11.09
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「ピアフを二度聞く 語ることなし。 私は悲しい。 泣く、初めてパリで。」
歌手・女優、越路吹雪(1924年2月18日~1980年11月7日、56歳)がパリで生のピアフを聞いた時の衝撃を日記に書いた。 「パリ日記・1953年5月7日より」(越路吹雪/岩谷時子「夢の中に君がい...
2021.11.07
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「ゴジラはレンブラントを見る思い」
1954年11月3日、東宝映画「ゴジラ」が公開された。監督は本多猪四郎(1911年5月7日~ 1993年2月28日)、特殊撮影が円谷英二(1901年7月7日~ 1970年1月25日)。表題の言葉は「銀幕に愛をこ...
2021.11.03
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「今日は死ぬのにもってこいの日だ」
ナンシー・ウッド(1936年6月20日~2013年3月12日)はアメリカの作家、詩人、写真家。「今日は死ぬのにもってこいの日」(金関寿夫訳)から。著者はニューメキシコ州のタオス・プエブロ・イ...
2021.11.01
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「戦闘はいよいよ激しさを加えている。夏空はどこまでも澄んでいる」
(戦争文学「ベトナム戦争 17度線の激戦地を行く」から)戦場カメラマン沢田教一(1936年2月22日~1970年10月28日)はUPIサイゴン特派員としてベトナム戦争を取材。1970年10月28日、プノンペン近郊で襲撃され死亡した。34歳。 (11月29日に一...
2021.10.28
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「目の黒いうちに原子力で電気を」
日本の「原子力の父」と言われた正力松太郎(1885年=明治18年4月11日~1969年10月9日)の発言(「日本の原子力-15年のあゆみ」日本原子力産業会議)。1963年10月26日は日本原子力研究所...
2021.10.26
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「百歳は折り返し点」
物集 高量(もずめ・たかかず)は東京府出身の国文学者、作家(1879年4月3日~1985年10月25日)。 「33人目の恋人と恋愛中」 「ヘソの曲がったできそこないが、永い御世話にな...
2021.10.25
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「おまへはもう静かな部屋に帰るがよい。
そして心の呟きを、ゆっくりと聴くがよい」中原中也(1907年4月29日~1937年10月22日)は詩人、歌人、翻訳家。30歳で没。心を病み鎌倉に移り住んで書いた最後の四行詩。生前はほとんど無名だったが、没後日本を代表する詩人として高...
2021.10.22
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「統計はウソをつかないが、ウソつきは統計を使う」①
「ウソには3種類ある。ウソ、見え透いたウソ、そして統計だ」②この二つの名言は誰が言ったのか不明。①は筆者が若いころ教えられた。②は「トム・ソーヤーの冒険」で知られるアメリカの文学者マーク・トウェインが、自叙伝の中で19世紀のイギリスの首相...
2021.10.18
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「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでいることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作っていることはさみしくない」
放浪、漂泊の俳人、種田山頭火(1882年=明治15年12月3日~ 1940年10月11日)の日記(昭和5年10月20日)から。「ひとりで作っている」の「作る」は俳句のこと。 泥酔して市電の前に...
2021.10.11
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「広島と長崎で五輪が実現すれば素晴らしい」
坂井義則(1945年8月6日 ~2014年9月10日)は1964年10月10日の東京五輪開会式で聖火リレーの最終走者として聖火台に点火した。広島に原爆が投下された8月6日に生まれた「原爆の子」であり...
2021.10.10
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「書いても書かなくてもよいことをかくところに、新聞紙の生命がある」
杉村楚人冠(1872年8月28日~1945年10月3日)は、新聞記者、随筆家、俳人。(「山中説法」から) 現代の新聞に道を開く 「朝日新聞社史大正・昭和戦前遍」によると杉村は朝日新...
2021.10.03
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「少数派は、多数派と同じくらい貴重な国民であるということが、はっきり理解されなければならない」
マハトマ・ガンジー(1869年10月2日~1948年1月30日暗殺)の「マハートマ・ガンジーの言葉」から。1947年9月7日付け「ハリジャン」紙に掲載された言葉。 10月2日は「非暴力の日」 ...
2021.10.02
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「楽屋って、お芝居より面白いわね」
椎名麟三(1911年10月1日 - 1973年3月28日)は小説家、脚本家。「私は、ギャフンと参ってしまった。私は、自分の芝居についてこんな手痛い批評を聞こうとは思わなかったからだ」。 (椎名...
2021.10.01
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「なぜだ!議長は俺だ」
1982年9月22日、三越の取締役会は10年間、三越を支配してきたワンマン社長岡田茂社長(1914年=大正3年8月3日~ 1995年7月20日)を解任した。「古代ペルシャ秘宝展」のニセ秘宝事件や三越...
2021.09.22
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「山は動いた」「勝てっこないとは何事だ」
土井たか子(1928年11月30日〜2014年9月20日)は1986年(昭和61年)、日本社会党第10代委員長に就任した。ミニ政党を除くと憲政史上、初の女性党首になり「おたかさんブーム」「マドンナブ...
2021.09.20
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「東芝に来てまず驚いたのは、社長室にバスルームがあったことだ」
土光敏夫(1896年9月15日~1988年8月4日)は1965年、石川島播磨重工業の社長から東京芝浦電気社長になった。最初に実施したのは役員室のバス、トイレ、キッチンの撤去だった。 「政治家と...
2021.09.15
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「自分が死んだら、白い花一輪とベートーヴェンの第九を聞かせて欲しい」
棟方志功(1903年9月5日~1975年9月13日)は日本を代表する版画家。1956年、ヴェネツィア・ビエンナーレに「湧然する女者達々」などを出品し、版画部門で日本人初の国際版画大賞を受賞した...
2021.09.13
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「憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」
フリーランスジャーナリストだった後藤健二(1967年9月22日~2015年1月30日、47歳)は「イスラム国」に拘束され、殺害された。生前の2010年9月7日に後藤が残したこのメッセージは多くの共...
2021.09.07
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「作品を創造するためには、死者が出てもしかたがない」
「評伝 黒澤明」(堀川弘通)から黒澤明(1910年3月23日~ 1998年9月6日)は日本を代表する映画監督。「姿三四郎」「酔いどれ天使」「生きる」「羅生門」「七人の侍」「用心棒」などの作品を監督、国際的な賞を多数獲得した...
2021.09.06
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「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
二宮尊徳(1787年9月4日~1856年11月17日)の言葉、とされているが、尊徳の言葉としての記録はない。後世の人が発言の趣旨を解釈して作ったものと考えられる。内村鑑三の著作「代表的日本...
2021.09.04
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「戦争の最初の犠牲者は真実である」
米国上院議員だったハイラム・ジョンソン(1866年9月2日~1945年8月6日)の言葉。 The first casualty when war comes is truth ギリシャ詩人の言葉を引用? カリフォルニア...
2021.09.02
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「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に寄って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。私共は隠されて仕舞った我が太陽を今や取戻さねばならぬ。」
平塚明子( 1886年=明治19年2月10日~1971年5月24日)は 日本の思想家、評論家、作家。平塚らいてう(雷鳥)という。1911(明治44)年9月、平塚らを発起人として発行された女性だけの手に...
2021.09.01
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「財貨を失ったものはーーいくらか失ったことだ!
名誉を失ったものは――多く失ったことだ!
勇気を失ったのは――すべてを失ったことだ!
うまれなかったほうがよかっただろう。」ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年8月28日~1832年3月22日)の言葉。 「新聞を読まなくなってからのびのびした」 ゲーテはドイツの詩人、劇作家、小説家、自然科...
2021.08.28
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「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
細川ガラシャ(1563年7月17日~1600年8月25日)の辞世の句・最後の言葉。) 女性キリシタン 細川ガラシャは、明智光秀の三女で、細川忠興の正室。戦国時代から安土桃山時代にか...
2021.08.25
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「ぼくはせめて、小説『火垂るの墓』にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持ちが強く、小説中の清太に、その思いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった」
野坂昭如(1930年 10月10日~2015年12月9日)は小説家、歌手、タレント。1967年、終戦直後に、幼い妹を失った体験を書いた「火垂るの墓」で直木賞受賞。1969年2月27日の朝日新聞第二部「舞...
2021.08.22
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「素晴らしい季節」
「朝からなにもたべてない 身を落とした 無表情な 全く寄るべのない 一銭も持っていない 16歳の少女が じっと立っている コンコルド広場で 8月15日の正午のこと。」 ...
2021.08.15
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「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
松浦 静山(まつら・せいざん=1760年3月7日~1841年8月15日)の言葉。プロ野球の故野村克也監督の名言と間違える人が多い。松浦は肥前国平戸藩の藩主で、「心形刀流(しんぎょうとうりゅ...
2021.08.15
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「パパは本当に残念だ」
河口博次氏=1985年=昭和60年8月12日、羽田発大阪行きの日航ジャンボ機が群馬県御巣鷹山に墜落。520人が死亡。大阪商船三井の支店長だった河口氏は、飛行機の中で社員手帳7ページにわたり...
2021.08.12
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「この世で最も悲惨で心を打たれる岩塊」
スイス・ルツェレンの「瀕死のライオン像」を見て、マーク・トウェイン(1835年11月30日~1910年4月21日)は無抵抗のままマリー・アントワネットらを守ろうとしたスイス人傭兵に対して表題...
2021.08.10
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「先に行くよ」「お母ちゃん」
1945年8月6日に広島、そして9日に長崎に原爆が投下。死を目前にした中学一年生が国粋主義にまみれた和歌を口にし、「お母ちゃん」と絶叫する。様々な記録や文学作品が残されている。『いし...
2021.08.06
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「座業というやつ、そう、ハンコ屋さんとか、洋服屋さん。
精神が、セッタをはいて、半ソデのダボシャツなんか着てさ、そういうひとたちって、どこか寅さんに似てるんじゃない?(略)
精神が、こう、江戸川の堤を、ツーッと走っているひとでしょうね」
(渥美清「きょうも涙の日が落ちる」)渥美清(1928年3月10日~1996年8月4日)は、コメディアン、俳優。代表作は『男はつらいよ』。シリーズ48作品で「車 寅次郎」を演じた。本名田所康雄。没後に国民栄誉賞を受賞。 俳...
2021.08.04
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「親もなく、妻なく、子なく、版木なし、金もなければ死にたくもなし」
林子平(1738年8月6日~1793年7月28日)は仙台藩士だったが、北海道・松前から長崎まで全国を行脚し、ロシアの脅威を説いて『三国通覧図説』『海国兵談』などを著したが、危険な書として発...
2021.07.28
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「文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ」
芥川龍之介(1892年3月1日 ~1927年7月24日)の『侏儒の言葉』から。1927年7月24日、田端の自室で服毒自殺。河童忌 ビアス「悪魔の辞典」と芥川の関係 「『侏儒の言葉』は必ずし...
2021.07.24
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「グローバリゼーション(国際化)とはプリンセス・ダイアナの死だ」
バズ・オルドリン(1930年1月20日〜)はアメリカの元宇宙飛行士。1969年7月20日「アポロ11号」船長ニール・アームストロングとともに、人類史上初めて月面歩行をした。 2007年に出版さ...
2021.07.20
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「奴らを通すな!(ノー・パサラン!)膝を屈して生きるよりは、脚で立って死のう!」
スペイン共産党議長、市民戦争の人民戦線指導者、ドロレス・イバルリ(1895年12月9日~ 1989年11月12日)が1936年7月18日に内務省の無線局から行った演説。「その時以来『ノー・パサラン!...
2021.07.18
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「ホワイトハウスなんて行かないよ」
ミーガン・アンナ・ラピノー(1985年7月5日、カリフォルニア生まれ)は米国の女子サッカー選手。2012年ロンドンオリンピック、そして2015年と2019年のFIFA女子ワールドカップを連覇。19年F...
2021.07.10
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「自由を求める群衆を私に」
フランスから贈られた米国の自由の女神像。正式名称は「世界を照らす自由 (Liberty Enlightening the World)の像」。その台座には、米国の詩人エマ・ラザラスの詩が刻まれている。 自...
2021.07.04